問題は権威への頼り方

日本社会がこれまで「誰が言ったか」ばかりを取りざたしてきたことへのアンチテーゼとして、「何を言ったか」というテーゼを今後は展開していくべきだと考えている。(毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題)
という章句を見つけた。ネットの匿名性についての論考で、↑自体には同意だけれども、ネットによる批判での情報の非対称性に対する認識が欠けているように見える。
ネットにおける有名無名の非対称性 on 佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン


 佐々木さんの「アンチテーゼ」は、言うはご立派ですが、所詮は幻想に過ぎないのではないかと思いますね。

 権威主義を完全に拒否する立場では、万人が全ての事象に対して自ら検証しなければならくなり非現実的ですし、権威主義に疑念を持つ立場だとしても、簡単な問題ならともかく、難しい問題を検証するには第2・第3の権威に意見を請い、妥当そうな回答を検討するしかないでしょう。医療におけるセカンド・オピニオンもそのパターン。

 結局は、普通に社会生活を送るには権威に頼らざるを得ないわけで、問題は権威に対する頼り方なのかなぁと思いますね。


 有名人実名/匿名の非対称性の件は全く同意します。また、さらに無名人実名/匿名や匿名/匿名でも実は非対称性を抱えているような気もしますね。

 匿名言論は認識できない人物の言論ですが、匿名言論の主体にとっては、自分の言論のみが認識できる人物言論となります。「森」も匿名ですが、佐藤さんにとっては他の匿名の人と区別できないでしょうけど、私にとっては「森」は私自身でしか有り得ません。そんな状況では、自分が持っている「私の言論はコレとコレで、その他は匿名である」という情報と、別の人が持っている「私の言論はアレとアレで、その他は匿名である」という情報との間に、非対称性が生まれます。ここに自分と他者とのギャップが生まれてしまうわけで。


 んー、でも、有名人/無名人とか無名人同士でも結局同じような気もしないでもないですね。また、佐々木テーゼの件は「アンチ権威主義」は後付けの理由で、実は匿名言論は権威主義に対して無意味ではないのか(「誰が何を言ったか」の両方が重要なのでは?)とも思えてきました。

 今日はこの辺りで…。

うら若き青年を捕まえて、あなた達はなんてことをっっ!

http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/net/1153411291/815

森.は昔から偉そうだよw多分、年寄りだから他の人はほとんど年下と思っているんだなw

http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/net/1153411291/834

中年の誤読王たちという存在は、よく考えたら気持ち悪いな

 まだ20代だっつの!!

「Winny利用者の3割が業務用PCでもWinnyを使う、NS総研調査」

 http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/08/10/12977.html

 INTERNET Watchではひたすら「Winny」「Winny利用者」と連呼しているが、NS総研の調査では「Winny等(に代表されるP2Pファイル共有/交換ソフト)」となっていて、かならずしもWinnyに限定した調査・アンケートではない点が如何とも言いがたい。(ただし、P2Pファイル共有/交換ソフトってどの範囲かはわからないが…。)
 意図しない情報漏洩は、従来のファイル共有ソフトではそれほど多くなかっただろうに。


 以下、色々考えている/いたこと。

 従来のP2Pファイル共有ソフトKazaa等)と比べ、Winnyは「自ノードが何をアップロードできるのかわからない」「自ノードが何をアップロードしているのかわからない」という特徴を存分に生かしているわけで、「管理型P2P」と「非管理型P2P」というような区別が可能じゃないかと思う。
 自分が悪意のある情報を送信してしまった場合に「私の管理外故に私には責任はありませんよ」という言い訳になるわけだけど、「意図的に管理外とした」と捉えることが出来れば、ある程度の責任が発生しても不自然ではないのでは?

 Winny擁護意見として「インターネットの中継サーバと同列だから、具体的情報に対しては責任は問われない」という意見もあるが、「悪意のある情報を送信してしまう可能性」と「Winnyを使うことによる(合法的)利益」を天秤にかけたらどう考えても前者の比重が高まるだろう状況で、可能性を知りつつも利用を続けるのって責任がないのかな、という辺りが前々から疑問です。

>>165 切り分けてないのはどっちだか…。

http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/net/1153411291/165

森.はみんなが(ご本尊も)当然の前提としている民事と刑事の切り分けができてない。
刑事で可能だからといっても、民事で可能なわけではない(下手すりゃ違法)。
その民刑をごっちゃ混ぜにして矛盾しているというのは、ただのDQN
少しは法律の基本や初歩を勉強しろよなー>森.

 繰り返しになるが、小倉さんの提案はそもそも民事活用が主体となっているわけで、「警察に相談しろ」という意見こそ民事と刑事を分けて考えられていないと思うよ。

パブリックコメントはかくあるべし

 某所でパブリックコメントに対して「有難いアドバイス」が多数寄せられているわけですが、広く一般から幅広い視点での意見を募集するのがパブリックコメントであり、パブリックコメントを出す/出さない/どのように出すということについて他人はとやかく言うべきではないと思うところです。


 例えば「いわゆるマジックマッシュルームを麻薬原料植物として指定する件」に対するパブリックコメントhttp://www.mhlw.go.jp/public/kekka/2002/p0423-1.html

3.その他
3)意見(賛成・反対)
 ○  クラブでスピーカーと一体化したり、空にうごめいている電波と交信可能。
 ○  死んだ人間と肌で触れ合い、話ができたような気がした。
 ○  キノコの精霊のダンスを楽しんだ。

 わははは。そりゃ規制されるだろw

相対主義

 相対主義ってのは、一段階メタな立場から考察してみることによって、客観的に物事を解釈しようとする試みだと思っていますが、メタな立場に登れていない自称相対主義はタダのご都合主義にしかならないでしょうね。

国歌

 個人的には、国歌に対して特別な感情を抱いていません。
 歌いたいとも思わず、歌いたくないとも思わず。大声で歌おうともせず、口を噤むこともなく。嫌いというわけでもなく、「俺ベストヒット」にも入らない。その程度。
 一方で、特に歌いたいという人や特に歌いたくないという人がいても不思議ではないかと思います。歌には思想や宗教観を表すものもありますし、国歌の類はそれが強い方じゃないでしょうかね。
 海外で国歌を歌う・歌わないがどのような扱いとなっているかはわかりませんが、(少し論点がずれることを承知した上で宗教観の方では、)アメリカではクリスマス時期に「清しこの夜」を公共で流さないという話もあります。(それどころか、「クリスマス」という単語自体も公に使わないそうな。情報元はその時期らへんのニュースの記憶より。)
 いずれにしろ、自分が好きだから他人に歌わせる人、自分が嫌いだから他人に歌わせない人、どちらにしても御免被りたいわけです。